大変ご無沙汰しております。井桁です。前回の投稿から大幅に時間が空いてしまいました。申し訳ありません。
資格試験の追い込みと本業の方と文学フリマの執筆でバタバタしておりました…
今年はあと2週間もないですが、投稿していきます。よろしくお願いいたします!!(今度は予約投稿なので大丈夫!!)(ややグロ表現注意です)
5.聖戦
美希は、自分のマンションのリビングでこの小一時間のうちに起きたことを必死で思い出そうとしていた。
だがそれは出来なかった。記憶をたどることよりも、美希自身がどうやって目の前の男から逃げられるか、ということの方が重要だったからだ。
男は三崎創だった。三日前、Samwayのライフプランセミナーで綾の友人として知り合った人だった。人当たりが良く、自分の話をよく聞いてくれていろいろ話したいなと感じさせてくれる普通の「良い人」だった。
そのはずだったのに、今美希の目の前にいる彼は、彼自身の友人でもある綾を殺し、美希自身も殺そうとしている。
なぜこんなことになったのだろう。そもそも私が彼を家に上げてしまったからだろうか? でもセミナーでSamwayに興味を持っていた――少なくとも美希にはそう見えた――彼が「実際の物を見てみたい」と連絡をしてきたら、私たちのような人はほとんどそれに応じるだろう。ましてや、連絡は直接ではなく綾から来たのだからなおさらだった。
せっかくだから鍋やキッチンナイフ、クッキングヒーターなどいろいろ見せてあげようと思い、「じゃあ、家に来てみんなで晩ご飯食べない?」と誘ったのは美希だった。三人いれば変なことは起きないだろうし、彼女の創に対する第一印象も良かったので、完全に安心していた。
しかし、それは間違っていた。美希がほんの数分目を離した隙に、綾は首を折られて床に倒れていた。その姿に絶句していると、彼は後ろから音も無く美希に近づき、口を塞いで気絶させたのだから。そして今は椅子に縛られている。両手はそれぞれガムテープで、足もガムテープが巻かれて動けなかった。
目の前で完全に無表情で立っている創の手には、美希がいつも使っているSamwayのナイフが握られていた。ダイヤモンド加工の刃で食材は綺麗に切れ、しかも「独自の加工技術」により素材の味を引き出すという魔法のようなナイフ。
「ゴミが」
彼は、まるで虫に向けるような目を美希に向けそう言うと、その魔法のナイフを美希の左手に突き刺した。
「――――――――――ッ!!!!」
声にならない叫び声が、ガムテープで塞がれた口から漏れた。そして叫び終わるよりも早く左手からナイフが抜かれ、右手にも突き立てられた。
今までの人生で経験したことのない痛みが美希を襲い、それと同時に彼女は初めて死を意識した。
でもまだこれは致命傷じゃない、と美希は自分自身に言い聞かせる。前にドラマで見たことがあった。手ぐらいなら命は助かるはずだ――しかし皮肉なことにその記憶は、ドラマの出演者が殺されていたことも美希に思い出させた。
美希が安堵と絶望でいっぱいになっていると、彼がキッチンからさらにナイフを数本とキッチンバサミも持ってきた。それを見て、美希は自分の命がもう長くないことを悟った。
彼女にほんの少しの安らぎを与えていた希望は、完全に無くなった。
「これは始まりだ」
彼が美希の耳元でそうささやいた瞬間、まず小さいナイフが心臓に突き立てられた。そしてハサミはお腹に突き立てられ、柄が何度も動かされた。非情にも美希の日常を支えていた二つの刃は、容赦なく彼女の大動脈を引き裂き、残されていた寿命を一気に縮めた。
「――――――――――――――――ッッッッッ!!!!」
塞がれた口からまた叫び声が出た。それは、美希の中に残った生命力のすべてを注ぎ込んだような叫びだった。しかしそれが声になることは無く、誰にも届かない叫びで終わった。
刺されたナイフとハサミが抜かれることは無かった。なぜなら、抜くと出血が多くなり死ぬのが早まるからだ。彼はそれを知っていて、彼女を苦しませようとしていた。
美希は、椅子の下でゆっくりと広がり続けていく血溜まりを見ながら、自分の意識が薄れていくのを感じた。思考がはっきりしなくなっていく。数分前に考えていたことが思い出せない。それどころか数秒前に考えていたことさえも。そして、今自分の身に何が起こっているのかも分からなくなっていった。
二二年間の人生が走馬灯のようによぎっていく。それは二〇年近くいた札幌の景色、高校の部活の帰りにみんなで行ったすすきののマック、休みの日に買い物したステラプレイスのお店、そして最後は両親の姿だった。
だが、彼女は両親の姿をはっきりと見ることは出来なかった。創が最後に残っていたナイフを美希の首に突き立てたからだ。そのナイフは、彼女の頸動脈を何度も何度も切り裂いた。
気管に血が入り、ごぼごぼと音を立てる。そして脳への血流が止まった。
最期の最期まで、美希は両親の姿を見ることは出来なかった。
創は、息絶えた美希を見ながら深い息を付いた。正直、気持ちのいいものでは無かった。
感情のスイッチを切って、出来る限り自分が今何をしているかは考えないようにしていたが、それでもナイフを刺す場所を考えて刺すという瞬間は、どうしても気分が悪い。
だが、と彼は思い直した。彼女は、特にこの高橋美希という女は綾を殺したようなものだった。だから高橋美希が死んだのは因果応報であって、そして自分は綾を救ったのだ。生きる喜びを失っていた綾を自分は救い出したのだ。これは綾への救済であり、そして高橋美希だけではなく、Samwayに関わるすべての人間への抗えない粛正の始まりでもあるのだ。
そのために彼にはもっと情報が必要だった。Samwayに関わる人間の連絡先が。
リストを作らなければ。殺されなくてはいけないゴミクズどものリストを。
ミーティングが終わったCBMATでは、全国の猟奇的な殺人事件や逃亡犯、そして未解決事件のプロファイリングが行われていた。
ケイトは日本の治安の良さを実感していた。何回か実際に現場で捜査協力をするだろうと考えていたが、出動の機会が今まで一度も無かったからだ。このCBMATというチームが警察庁に置かれているのがその要因の一つかも知れなかった――警察庁刑事局の捜査員には捜査権がない――が、凶悪犯罪の絶対数が少ないことや日本の警察の検挙率と捜査能力の高さが一番の要因だとケイトは思っていた。
オフィスでは、先日起きた未解決事件についてのプロファイリングが始められた。
大平が、被害者について説明を始める。
「被害者は三八歳の男性会社員。名前は佐川敦史。自宅で殺された。発見したのは、隣人から通報を受けた警察官だ。通報の内容は『異臭がする』と。で、近くの巡査が見に行ったら被害者がいたというわけだ。腐敗していたが、検死の結果、死因は刃物で刺されたことによる失血死と判明した。死亡時期は、腐敗の状況から発見から一週間ほど前とされている。
現場で激しく争った痕があることから、怨恨のセンで捜査を進めているが、はっきりした容疑者は挙がっていない。そもそも隣人の証言は無いし、監視カメラも周囲に無いからだ。今は地道な聞き込みで捜査を進めている状況だ」
説明が終わると、まず今泉が言った。
「現場の荒らされ方が不自然じゃありません? 争ったにしては綺麗な気がします」
「確かにそうかもしれない。家具の位置があまり動いていないように見えるな。偽装か?」
五十嵐も同意した。
「被害者の財務状況を見ても苦しかった様子はない。いわゆる普通の生活だ。会社の人も友人もなぜ殺されたのかと口を揃えて言っている。だが、犯人に選ばれる理由が何かあったはずだ」
大平がさらに説明すると、ケイトは言った。
「この現場写真を見ると殺し方が特徴的な気がします。儀式的というか処刑スタイルに近いような気がしますね。少なくとも、争った末に起きた犯行では無いと思います。そして、それを隠すために家具を動かして捜査を攪乱しようとしたと考えるのも納得出来ます」
「となると、被害者が何かヤバいことに足を突っ込んで殺されたということですかね? 聞き込みのほとんどは、目撃者についての証言がほとんどです。被害者自身についてはあまり分かっていないですね」
と今泉が言う。
「もっと被害者の日常生活について掘り下げた方がいいと思います。普段、誰とよく会っていたのか、行き先、思想など。周囲から普通と思われていた男が裏でどんなことをしていたのか。そこが事件の鍵のような気がしますね」
そうケイトが言うと、大平がまとめた。
「なるほどな。担当刑事にはそう伝えておこう。怨恨ではない別の理由がある。それは現場の偽装や被害者自身の生活から分かるだろうと。よし、今日プロファイルの依頼が来ているのはこれが最後だ。おつかれさん」
こんな感じでCBMATの毎日はすぎていった。
創は自分の事件がニュースになっていないことに少し驚いていた。まだ普通の殺人事件として捜査されているのだろうか? それとも、そもそもまだ死体が見つかっていないのだろうか?
どちらにしても急ぐに越したことはない。リストの二人目の熊田悟を殺したあと、彼は美希のスマートフォンで三人目のターゲットの名前を確認した。その名前は早矢仕晃。渋谷によくいるらしい。ならおびき出して、人混みの中で速やかに殺すのが一番だろう。
この聖戦はまだ始まったばかりだ。
あと何人殺せば人々は安心して暮らせるだろうか。
あと何人殺せばあの「教祖」にたどり着けるだろうか。藤本香瑠――あの女を殺すまで彼の聖戦は終わることは無いのだ。
第六章へ続きます。