朝。東京の下町が左から右へと流れていく。線路沿いの民家が動体視力が追いつく間もなく,視界の隅へと消えていく。気怠い車掌のアナウンスが入る。
「この電車は~」
そのすべてをぼんやりと感じながら,脳裏に浮かぶのは昨日偶然耳にしたある言葉だった。
「貧乏人ほど権利を主張する」
聞く気はまったくなかったのだが,営業先で小耳に挟んでしまった。あまりに前時代的でブラック企業の企業風土を凝縮したような言葉だと思う。言い方が悪いという前置きなど霞んで消えてしまっている。
視界の隅に消えていく民家のようにその言葉を忘れられればいいのだが妙な説得力があった。車窓の外に見えるスカイツリーにその言葉を重ねる。
生きにくい社会だと思う。時代遅れだと思う。過去の成功体験にいつまでしがみついているのだろうか。
車掌のアナウンスは右から左へと流れていった。それはまるでカフェで聞くBGMのように集中力を高めるものだ。コーヒーにミルクと砂糖を入れて飲みやすくするのと似ているだろうかとふと思いながらすぐにスマホの画面に集中する。
「差せ! 差せ!! 差せ!!!!」
耳に残る怒号。昨日のGⅠレース。1番人気の馬が圧勝した。映像はこれ以上ないほど綺麗な競馬だった。
スタートは出遅れず,内枠から外への誘導,コーナーから直線の誘導。そして抜群の末脚。
ほとんどの競馬評論家や予想家の期待に応えはしたが,どうしても味気なさを感じる。
単勝20倍くらいの馬が勝つレースの方が面白い。ジャイアントキリング。叶うなら単勝万馬券。
馬券は夢だと思う。
昨日の夢は覚めた。そもそも夢だったのかとも思う。夢など見ていなかったのではないだろうか。
映像は一着の馬の強さを厳然たる事実として伝えていた。
今週は良い夢を見られるだろうか。
スマホの画面に映されている文字が簡潔に脳に刻まれていく。
『日経平均大幅下落』という見出しに連なる文章に含まれる情報を簡潔にして脳に刻む。
その情報はインフォメーションではない。インテリジェンスとして同時にすでに持っている情報と組み合わされる。
下落幅5%。理由は米金利の上昇懸念。予想。
一面トップを数分で読み終えると小さいため息が出た。
株価は将来の展望を織り込むというが,あまりに短期だと思う。遠くに見えるスカイツリーのようにもっと大きなランドマークはないのだろうか。
流れていく民家と金利の上昇懸念を重ねる。一時的なものだと思う。ランドマークは見えている。集団免疫獲得による非製造業への需要増加。
それでもいつになるのだろうか。スカイツリーは朝日を浴びて輝いているのに,市場のスカイツリーは雲に隠れている。それどころか雷に打たれているかもしれない。
「長いな」
誰にも聞こえないように口の中で小さくつぶやく。
気怠いアナウンスが入る。
「まもなく終点東京,東京に到着します。お出口は~」